価値観と人格と家族

お引越しの準備で定期的にブログの更新が遅れてますが…ご了承下さい。

 

私は小中高共に友達がそこまで多かったわけでもなく、学校行事でも大した思い出が作れなかったので、写真や色紙などを捨ててしまいました。

昔は「どうしても捨てられない」とか「せっかくだからとっておきたい」とか言い訳を並べては整理する機会を逃してばかりだったのですが、成人してから思い出がいかに無意味なものか知ったため、部屋から思い出の品というものは殆ど捨てたかと思います。

母親は、「せっかくだからとっておいたら」なんて言ってるのですが、今や自分にはなぜ思い出の品が大切なのかもうよくわかりません。

 

家庭内の虐待から始まり学校内のヒエラルキーや陰湿ないじめが跋扈していた学校で、そのターゲットとなってしまった自分は友達と言える友達はおよそ数人しかおらず、社会人になってからはとうとうその友人とも連絡を取らなくなってしまいました。現状連絡をとっている友人は同じ会社に就職した高校の同級生だった1人です。

 

楽しくない学校生活の思い出の品とやらを残す必要がありましょうか、否、残す必要性を問う事すら愚問と言えましょう。

かくして私の社会人生活以前の友人も思い出も全て存在しないものであり、金輪際思い出す必要もない為、たくさんのものを捨てることができました。

 

昔は自分を比較的温厚で篤実な性格だと思っていましたが、優しくした人間から冷遇を受けて、人間という生き物が如何に醜く汚い生き物かを知り、私は猜疑心が強く常に懐疑的な人間に変貌したように感じます。

 

今回は自分なりの断捨離について考えてみました。

いつのまにか性格が変化していた事実が身に染みてわかりました。